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救えたはずの命も…能登半島地震でこれまでに70人が『災害関連死』初期の避難所の検証で見えた様々な課題

地震後の避難生活などで体調を悪化させて亡くなる「災害関連死」

能登半島地震ではこれまでに70人が災害関連死と認定されていて、その数は今後も増える可能性があります。

災害関連死はどうすれば防げたのか、初期の避難所を検証すると様々な課題が浮かび上がってきました。

輪島市の平田真由美さん。

母、浅井あつ子さんを地震から3日後に亡くしました。

1人暮らしだったあつ子さん。

足が不自由で自力で避難できなかったため1月3日に自衛隊に救出され避難所へ運ばれました。

その避難所で容態が急変したのです。

平田真由美さん:
「いつも寒がらないお母さんが寒がって、低体温になってて」

あつ子さんは病院に搬送されましたが次の日の夕方、息を引き取りました。

死因は「低体温症」でした。

平田真由美さん:
「物資とかも何もなかったし布団とか毛布とかもなかったし、用意とかもしてないし、それをしていたらお母さんにも毛布はあたっていただろうし、それをなんでしてなかったんかなって」

あつ子さんのように地震では生き延びたもののその後の避難生活などで体調を悪化させて亡くなることを「災害関連死」といいます。

能登半島地震で犠牲になった299人のうち70人はこの災害関連死です。

石巻赤十字病院 植田信策医師:
「床に寝ていますと体温がどんどん奪われていくんですよね。そうやって温度が奪われていって低体温になりやすい。食事も十分な食事が取れないと体温がつくれないってことがあります」

1月5日から珠洲市の避難所などで診療を行った石巻赤十字病院の植田信策医師。

様々な災害現場を見て来た植田医師にとって当時の避難所は想像を超えるほど劣悪な環境だったといいます。

植田信策医師:
「土足のまま雑魚寝している人がいっぱいいたのはショックだった。東日本大震災のあとも13年経っているわけですからその都度、その都度色々な働きかけをしていって、だいぶ仕組みとしては良くなってきているはず。それでもまだ土足のまま雑魚寝をしている、東日本大震災と基本的に変わってないってことが逆にショックでしたね」

これまでに災害関連死の認定理由が公開された30人のうち半数以上にあたる16人は避難所の環境が体調の悪化につながったことが分かっています。

1月3日の珠洲市飯田小学校。

発災当初から避難所の運営にあたった泉谷信七さん。

泉谷信七さん:
「きょう初めて市役所からパンと水が届いた。この小学校には備品倉庫があって少しの食料が貯蓄されているけど、大勢が一気に来ると一日で全部無くなって足りない状態」

当時、最も深刻だったのは食料不足です。

備蓄は200人分の保存食と水が1日分。

それに対し、避難所には飯田町の人口をはるかに超える851人もの人が詰めかけていました。

泉谷さんたちは混乱を極めた当時の様子をこのように記録しています。

「1月1日 備蓄物資を勝手に持ち出し、確保している人が何人もいたため注意し回収する」

「救急車を呼んでも半日以上来ない」

「徐々に精神的に疲労が濃くなり児童が『こんな汚いトイレでしたくない』と泣いている」

泉谷さん:
「水が流せないので小学校のプーの水をバケツにくんで使っている」

植田医師は、発災直後の避難所に必要なことをこのように提唱します。

植田信策医師:
「トイレが不十分であること、食事がちゃんととれない事が問題であると示した上で、TKB48というのをキーワードとしてやっているけど」

”TKB”のTはトイレ。

清潔で十分な数がないとトイレの回数を減らそうとして水や食事を控える人が増えます。

そうすると脱水症状やエコノミークラス症候群になる危険性があります。

Kはキッチン。

栄養バランスの考えられた温かい食事を意味します。

この避難所では6日間、ギリギリの数のカップ麺やパンでしのぎ1月7日にようやく炊き出しが始まりました。

Bはベッド。

床に直接横になると体温を奪われるだけでなく、床から舞うほこりを吸い込んで呼吸器障がいを引き起こすリスクを高めるため、段ボールベッドなどを使って就寝環境を整える必要があります。

泉谷さんたちも1月8日に市に段ボールベッドを要望しましたが、避難所に設置されたのはそれから19日後の27日でした。

植田医師:
「実は段ボールベッドは石川県庁には早く来ていた。県庁から各市町に行くのが途絶えていた。道路の問題もあるが、それを使う市町役場もどうやって使うのか分からない」

災害関連死を防ぐ鍵はTKB、この3つを48時間以内に避難所に届けること。

これらは「あったらいいもの」ではなく「命を守るために絶対に必要なもの」なのだと国や自治体の意識を変えなければなりません。

飯田小学校では現在も15人が避難生活を続けています。

今、泉谷さんが考えているのはこの経験をどうやって次に繋げていくかということです。

泉谷さん:
Q何が足りなかった?
「一番はこういう状態になったときに協力者を出来るだけ多く集めないといけない。1週間どう過ごすかというのを考えたり食事関係だけじゃなくて着るものとかお風呂の問題とかそれぞれに係がいないと難しい。今までの避難訓練は参考にならないと。訓練のやり方自体を考えないと、今回の地震を参考にして考えないといけない」

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